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最近、あらためてこのことについて考えていました。
この状況における最大の関心事は、やはり自分の足元でしょう。
たとえが極端ですが、足元が危ない状況とは、なにも命がかかっていることばかりではありません。
むしろ、明らかに緊急だとわかることのほうが少ないくらいです。
その多くは、そういった意識が途切れた一瞬のスキをついて起きています。
仕事に取りかかってみたら、思いのほか手間取ってしまったという経験はあるでしょう。
ウンウン言ってるところに、「ちょっといいですか」などと、新たな仕事をお願いされたりするのです。
心の第一声は、「めんどくさい」が本音ですが、そういうわけにもいかないので引き受けます。
そのとき思った「めんどくさい」は、それを引き受けなければもっと楽ができるとか、早く帰れるといった思いから発しています。
でも、その仕事が早く済んだりすると、「もっと笑顔で引き受ければよかった」などと、帰り道に後悔したりもするのです。
同じ仕事を依頼された場合でも、明日が休みの時や、週末に楽しいイベントがまっているときには、もうすこし表情もやわらいで応対したことでしょう。
ここに「その瞬間どれだけ余裕があったか」という違いがあります。
余裕があれば、最初から笑顔で引き受けたのです。
先の崖の例えなら、自分の身が安全装置で固定されていると認識できれば、おそるおそる顔をあげるくらいはできるかもしれません。
そう考えると、短期的な欲求を満たすために「ほんとうに望むこと」を逃しているということがずいぶんありそうです。
そこで、取り組むべきは「余裕をつくる」ということです。
足元ばかりを気にしている状況では、まわりで起きる突然の出来事に対処することは難しいでしょう。
でも、顔をあげていれば、その予兆に気づくとか、もう少し対処のしようはあるわけです。
何の「余裕」を作るのかは人それぞれ目的とするところがありますが、いずれにしても「時間」や「やらないといけないこと」など、意識できるモノをコントロールするほうが圧倒的にやりやすいです。
ここでは、ほんとうに望むことを満たすひとつのアプローチとして、その「余裕」をどう作っていくのか、そのことについて考えていきたいと思います。