2012/04/07

TCM10 : ブレーキになる考えも書く

たとえ漠然としたものであっても、行動するのには動機があります。
その行動によって直接的、あるいは間接的に満たしたいことがあるわけです。

TCMを書く理由のひとつは、その「満たしたいこと」が何なのか分かることです。
中心に書いたテーマに繰り返し問いかけていくと、ぼんやりとしていた考えが具体化されます。

しかし具体化していくなかで、ときには書き進めることをためらってしまうこともあります。
たとえば、この考えは一般的に言われていることではないとか、このまま進んでしまってもいいのか不安がある場合です。

Clarity


これにはいったん、そのブレーキとなるものも書いてしまうことです。
下の図の四角で囲ったところがブレーキになることです。

行動するときには、「やる理由」と同時に「やらない理由」も抱えていることが多いのです。



これはTCM公式の書き方ではありません。それと、私は朝でも飲めます。


やらない理由は何か


「○○と考えている」という時、その「考え」は自分の経験や想像から思うこと、どこかで聞いた情報、あるいは社会的な道徳など実態はさまざまです。

こうした「考え」のせめぎあいの結果、相対的に行動する理由が強ければ実際に行動しますし、ブレーキになるものが強ければやらない、あるいはやめるわけです。

ですので、「やる」「やらない」それぞれの理由を形づくる「考え」が何かを知ることと、その「考え」が本当に自分にとって必要なものかは確かめたいところです。

自分の考えていることが、自分で分からないという人はいないのですが、自分が次にどう考えるかを意識している人は少ないのです。考えは勝手に走っています。(中略)

「良いことを考えていても、悪いことを考えていても」それも、単に自分の持っている判断のプログラムによって良い悪いと自分で判断しているだけで、時代や場所や育ちが違えば判断が変わることですから、何ともいえないものです。
観照の要点は、自動反応を放置しないことです。もう一度言うと、その「考え」が、どんな考えでも「自動反応になっている」のが「悪い」ことなのです。

また、「自分は考えている」と思っている「自分」は、プログラムに従って考えていますから、そのプログラムが「A」なら「A」のように考えるし、「B」なら「B」のように考えるということです。それは「自分」ではありません。ですから、「A」や「B」に「自動反応」していたのでは、嘘の自分になってしまいます。それをやめれば、本当の自分ということになります。

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悩んだら書いてしまえ


これらの「考え」もいったん書き出してしまえば、アタマの負担は確実に減ります。
次のステップでやりたかったことをやればいいのです。
いったん書きだした上で、あらためて書き出されたものを見わたし、検証すればいいわけです。

TCMを書いている間は、アタマにある情報を書き写す作業に徹底するのです。
そうでなければ「今考えていることを知る」スナップショットにはなりません。

書きだしてみて、「この不安は実際やってみないとわからないことだ」と分かることもあるのです。

そうして確かめた上で、それが必要な考えならまた頼ればいいし、役に立たないなら捨ててしまってもいいわけです。