2011/09/04

「意思が弱いのではなく その仕組みにバグがある」という考え方

うまくいったことや失敗したことに対して、「がんばったからだ」とか「意思が弱かったからだ」と結論づけてしまうのは、いささか早計な気がします。

これでは「なぜこの結果だったのか?」という理由が、神様にあずけてしまったような、なんともつかみづらいものに感じてしまうからです。

Mind blocks...


がんばるとか、がんばらないというのはあくまで主観的な観測で、これは見る人の立場によってもことなります。
また、意思が弱いことが原因なのであれば、次にうまくいくためには意思が強くなければならないということになります。
意思を自由にコントロールできるのであれば問題はないのですが、気持ちはあっても体が思うように動かないとか、決して毎日が万全なわけではありません。

わたしはこれまで休日の過ごし方に問題がありました。

平日に、「今週末はあれをやろう」と考えていても、週末になるとスイッチが切れてしまっていて思ったような過ごし方ができませんでした。
そして、なんとなくめんどくさい思いから先送りしてしまったり、別のことに気を取られて、気づいたら休みが終わりという生活を毎週のように繰り返してきたのです。

「意思が弱い」のはそのとおりですが、形がないものはイメージしづらく、失敗するいつものパターンに乗ってしまっていても気づくことができなかったのです。

絵が上手い人は、手に技術があるのではない。目が精確に形を捉えていて、手が描く線の狂いを感知できる。つまり、「上手い」というのは、ほとんどの場合、「測定精度の高さ」なのである。たとえば、料理の上手い下手は、最終的にはその人の舌の精度に行き着く。

ラジコン飛行機の操縦が上手いか下手かは、飛行機の姿勢をいかに精確に捉えられるか、という目で決まる。咄嗟に舵が打てるか、適切な舵が打てるか、といった問題は大したことではない。工作が上手いかどうかも、常に材料を精確に測定できるか、にかかっている。狂いのない飛行機を作れる人は、小さな狂いを見ることができる人である。精確な位置に穴があけられる人は、精確な位置に罫書きができる人だ。

もう少しわかりやすく説明すると、「どんなとき、どうすれば良いか」といった知識は誰でも簡単に学べるが、一番難しいのは「今がどんなときか」を感知することであって、これは知識としては学べない。現在の位置や状態を的確に把握できれば、もう「上手い」も同然なのである。

– MORI LOG ACADEMY: 「上手い」とは何か

そこで、もうすこし「うまくいく」とか「失敗する」ということを手にとれるかたちで把握したいと考え、そのときの行動や思ったことを記録することにしました。

特に、うまくいったときの行動パターンを細かく記録し、これをチェックリストにしました。
例えばブログを書く時に、まずEvernoteでどのノートブックを見てネタを決め、次にどのエディターで記事を書き、どんな音楽を流しながら書いたかなど動作の一つひとつを順番に細かく分解して記録したのです。

うまくいく行動パターンのガイドがあることで、そこから外れたときには失敗するかもしれないと気がつくことができます。
そして、そのパターンでもうまくいかなかったのなら、その仕組みにまだバグが存在しているということです。

これなら、意思の力に結果が左右されることもありません。
たとえ上手くいかなかったとしても、その仕組みをより完璧なものへと育てる機会と捉えることができ、むしろ楽しみですらあります。

「今日もうまくいかなかった」という気持ちではなく、「今日はこのバグをつぶした」という実感をもって一日を終えることができるのです。