2011/09/11

頭の手綱をつかむ

人と話をしていて、「この人は本当にそんなふうに考えているのだろうか」と感じることがあります。
話している相手が過去のその人であったりとか、または世間で常識とされていることに向き合っているような感覚があるのです。

「相談にのってもらったけど結局一般論を言うだけで、挙句に自分の自慢話をされた。」
などは誰もが一度は経験したことがありそうですし、話のあたまに「ふつう〜」とか、「一般的に〜」を多用する人と話すのなら、こうした経験に暇がありません。

Programming


頭は楽をしようとします。
毎回そのことについて一から考えていたのでは、多大なエネルギーを費やすことになるからです。

そこで、過去の経験をもとにして「とりあえずうまくいく」ということや、世の中一般で正しいとされていることを自動プログラムとして用意しておきます。
ふたたび同じようなことが身の周りに起きたときには、そのプログラムに従って「自動反応」することで、あらためて一からそのことについて考えなくても事態が済むようにしているわけです。

自分の考えていることが、自分で分からないという人はいないのですが、自分が次にどう考えるかを意識している人は少ないのです。考えは勝手に走っています。
(中略)
「良いことを考えていても、悪いことを考えていても」それも、単に自分の持っている判断のプログラムによって良い悪いと自分で判断しているだけで、時代や場所や育ちが違えば判断が変わることですから、何ともいえないものです。
観照の要点は、自動反応を放置しないことです。もう一度言うと、その「考え」が、どんな考えでも「自動反応になっている」のが「悪い」ことなのです。

また、「自分は考えている」と思っている「自分」は、プログラムに従って考えていますから、そのプログラムが「A」なら「A」のように考えるし、「B」なら「B」のように考えるということです。それは「自分」ではありません。ですから、「A」や「B」に「自動反応」していたのでは、嘘の自分になってしまいます。それをやめれば、本当の自分ということになります。

- 始めよう。瞑想―15分でできるココロとアタマのストレッチ

プログラムによって導きだされた結果が、いつも自分を満たすものとは限りません。
冷静に考えてみれば批判されたわけでもないのに、相手の真意も確かめず、ついつい反論してしまうといったこともあるのです。

そうして、「ほんとうはそういうつもりじゃなかった」と、後々そのフォローにまわる必要もでてきます。そうした真意を伝える機会があればいいですが、そうもいかない場合は、自分を正当化するために理屈をこねまわすことになるわけです。

もう少し自分の反応をコントロールするにはどうしたらいいのでしょうか。
それには、「これは自動反応だ」と気づくことから始めるのがよさそうです。なるべく言動を意識化におくのです。

先に紹介した瞑想の「観照」も1つの方法ですし、セルフトークを変える方法もあります。
セルフトークとは普段自分が自分にしている質問です。質問形式になっていなくても、つぶやきのようなひとりごとでもかまいません。

なにかの答えを出す前に、「目的はなにか?」と自分に問いかけます。
このプログラムは強力です。予め用意された自動反応プログラムを止め、自分だけの答えを出す機会を増やすことができます。

これまで自分の意識の外で動いていた、頭の手綱をつかむことができるのです。