2011/09/25

”一応、念のために使うシステム”は何に使うのか

10年以上も前の話になるので、今ならこのようなこともないのでしょう。それに、当時つけていたカーナビはGPSで今いる場所を測位するといった機能もありませんでした。

家族で遠方に出かけたときのことです。目的地までのルートを検索をしたら、走行中の高速道路を降り、その辺の道をぐるぐる走った後に、ふたたび同じインターから高速に戻るといったルートを案内されたことがありました。

なぜこんなとこで降りるのかと不審に思い、そのルート案内に従うことはありませんでした。しかし、そのことがあってから、カーナビは一応つけているけど案内には従わないシステムとなりました。

この状態は、新しくカーナビ付きの車を買うまで続きます。

110624:choice


この話を周りにすると、決まって「カーナビをつけてる意味が無い」という反応が返ってきます。

しかし、こうした問題はカーナビだけに限った話ではないように思います。
こうしたシステムの信頼に関わる話は、身の周りに多く存在しているように思うのです。

例えば、社内で業務のナレッジとなるシステムを作ったとします。
最初のうちは、同じ担当者が同じ精度で記事を更新し、修正していきます。
しかし、どういう情報をどんな深さで掲載するのか、またはしないのかといった基準もないまま、その時々思うように更新を続けていくと、やがて「すべての情報がここにある」というシステムのイメージがぶれ始めます。

「この情報はナレッジにあるけど、ここから先の情報はこっちのエクセルにあって…」とか、「このナレッジに書いてることは古いから参考にならない。最新の情報は○○さんからのメールに書いてある」という状態になるわけです。

このルートなら正しいとか間違っていると、その都度判断しなければならないシステムを使い続ける目的とは何でしょうか。

なぜそのシステムを使うのかを問われて、「一応」や「念のため」がつくようなら、何のためにこれからもそのシステムを使い続けるのか、その意義を問うべき時だと思うのです。