2011/10/16

「100満たされないならやらない」という罠

あらかじめ決めているわけではないのですが、気づくとそんな心理がはたらいていることがあります。

自分の「きっちりやれた感じがする」というところまで、追い求めるべきではないと考えています。
そのときはなんとかやりきって大いなる達成感につつまれたとしても、次にそれをやるときには前回以上の大きなエネルギーを必要とするからです。

Happy Bench Monday: Monument Valley "Three Sisters" Pinnacle Edition!


始める前に今から登る山の大きさを想像し、がく然としてしまうのです。
そして前回からの間隔が短いほど、その大変さを覚えています。
さらに悪いことにその見積もりは正確ではなく、自分にとって悪いことなら多めに見積もられているものです。

続けることに意味があることなら、続けることをいちばんの目的にすることです。
私の場合、風呂掃除やジョギング、GTDの収集プロセス、そしてこのブログがそうです。

まずはそのことに悪いイメージがはたらかないようにします。

以前は、「走る=苦しい」というイメージがありました。
それまでも急に思い立って走ることはありましたが、自分を追い込むような走り方をしていました。
キツイし、(かろうじて翌日)筋肉痛に襲われて悶えていましたが、走り終わった後の達成感が唯一の原動力でした。

でも、続かなかったのです。
その苦しみを忘れた頃にまた走りたくなって、またしばらくやめるというくり返しでした。

しかし、続けることを考えるようになって、まずは「走る=苦しい」というセルフイメージを取り去ることからはじめました。

走るスピードは、歩くより気持ち速いくらい。
600mを5分くらいかけて、ゆっくりゆっくり走ります。
このスピードだと、逆にこのペースで走るのが大変なくらいです。意識していないとアップテンポな曲につられてスピードアップしてしまうのです。

当然、歩いているようなスピードで走りますから息切れはしません。
普段は、20分のウォーキングをしてから30分ジョギングというふうに時間を決めていますが、ごくたまに60分走っても疲れません。このスピードでもランナーズ・ハイになることもあります。

ジョギング中にいいアイデアが浮かんだとか、自分にとっていいことがあるようになると、走る前の気持ちに変化がでます。
これまでの「走る=苦しい」という自動反応が消え、「なにかいいアイデアが浮かぶかもしれない」とか「天気もいいしゆったりして気持ちいい」というプラスのイメージが働くようになります。

雨の日は走らないと決めているので、走らない週もあるのですが、記録をつけ始めてから2年くらいは継続しています。週1回ウォーキングとジョギングで5〜6kmくらい、これまでの累積266.62km、体重はいちばん太っていた頃から-7〜10kgを維持しています。

成果が見えるようになってくると、その成果自体が続ける理由になり、モチベーションになります。

キツイことはしていないので、以前のように大いなる達成感に包まれることはありませんが、それでも続けられたという満足感はあります。

100の達成感をもとめて間があくよりも、その半分以下でも継続する方がずっと成果が得られるのです。