「掃除にジョギングに…ブログ書く。シャツにアイロンかけて、くつみがき。それとWeb作成」
その中で、なんとなく大きな塊になっているモノを想像する。塊とは心理的に抵抗を感じること。
しかし一方で、やるべきことは日中に片付けてしまい、夕方からゆっくりとした時間を過ごすという夢もみる。
「家族と買い物に行って、今日の夕飯の買い出しをするのもいい。仕入れた魚を煮こむ間に、なんかつまみながらビールを飲もう。…これぞ休日って感じがする。」
メンドクサイ気持ちを感じながらも、ひとまず始めてみる。
しかしながら、やり始めても「他にやらないといけない気がするもの」、あるいは「その取りかかる順番」が気になって手につかない。
いったんタスクリストにやることを全部放り込んで、頭を空っぽにすべきだろうか。
しかし、目の前のことを早くやってしまいたいという欲求が勝り、ひとまず作業に戻る。
さらに、なんとなく始めているので、目の前の作業がいったいどうなったら終わりかはわからない。いつだったかのように「コレ!」という確信が降りてきて完成するかもしれない。
漫然とした作業が続くが、終わりの時間は決まっていない。
そうこうするうちに夕飯の時間になって、家族からテーブルの上の撤去命令が出る。
夜。とうとう予定していたことが終わらないとあきらめ、馴染みのあるパターンを適用する。
「アイロンは平日に翌日分をかけよう。」
「期限のないWeb作成は平日の夜にやろう。」
<繰り返し>
こういう自分の「あるある」なパターンを書きだしたのは、頭の中にある「こういうループに入ると上手くいかない」ということをハッキリと認識するためです。
なんとなく上手くいかないだろうなというイメージを、ハッキリとうまくいかないものとして識別したいのです。
自分の中で「あるある」なのは、それが自分にとって自然な行動だからです。
そのレーンに乗ってしまったとしても、それは「楽」なことなわけです。
しかしながら、それは望んだ状態ではないわけですから、そのレーンに乗っていることに気づく必要があります。
書きだしてみて、目の前のことにまったく集中できていないのだとわかります。
「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」が頭にあふれ出す一方で、「目の前のことを早くやってしまわないと、やりたかったこともやれない」という不安があるのです。
これは取りかかろうとするタスクの情報が不足しているからでしょう。
つまり、「タスクにかかる時間」と「タスクの終わりの状態」がぼんやりとしているわけです。
ここから、必要なのは次のようなものになると見込んでいます。
- 「気になること」が浮かんでも、素早くメモしそれを受けとめられること
- 「気になること」を実行するか、選別する時間を作ること
- 「気になること」がどうなれば終わりなのか、仮説をたてること
- 「気になること」を構成するタスクを洗い出す
- 「気になること」のタスクに取り組む時間
最終的に手にしたいのは、「他の気になることは後でちゃんと取り組む時間を用意しているから、今はコレに集中してよい」という安心感なのです。